ボクだけの女神
春の月、8日。
牧場主のミルクは、いつもより早めに起きると、手早く朝食を取り、カレンダーに付けた赤丸を見つめ、よし、と気合いを入れた。
今日は、春の女神祭。
山の女神に、厳しい冬が無事に過ぎたことを感謝するため、女神に扮した少女達が踊りを奉納する祭だ。
母から娘へと受け継がれる美しいドレスを着て、会場の広場まで男性にエスコートされるこの祭は、少女達にとって年に一度の晴れ舞台でもある。
だが、そんな祭の日でも休めないのが、牧場の仕事だ。
作物の出荷や種まきは諦めるとしても、動物たちの世話や、作物への水遣りは、一日だって欠かすことができない。
亡くなった娘の代わりに、とゴッツから受け継いだドレスを着るのは、その後だ。
壁にかけたドレスに目をやってから、ミルクは朝日が昇ったばかりの牧場へと向かった。
* * *
動物たちの世話を済ませ、畑へと向かったミルクに、牧場の入り口から声がかかった。
「おはよう、ミルクさん」
声の方を向くと、今日のエスコート役、クリフが立っていた。
「クリフ君?」
慌ててクリフの方へと駆け寄り、ミルクは軍手を外し、腕時計を確認する。待ち合わせには、まだ大分早い。
「ごめんなさい、まだ用意してなくて…。少し待ってもらえるかな?」
謝るミルクに、クリフはううん、と首を振る。
「牧場は、祭の日でも仕事を休めないもんね。だから、手伝いに来たんだ」
「え?」
意外な言葉に、ミルクはきょとんとして聞き返す。
「何でも言いつけてよ。ボクにできるような仕事があれば、だけど」
「それは、凄くありがたいけど…良いの? なんだか、悪いわ」
「ううん。少しでも、ミルクさんの力になりたいんだ。だから、手伝わせて?」
2人でやった方が早く終わるし、と微笑むクリフに、ミルクは少し迷ってから頷いた。
「うーん、それじゃ、お言葉に甘えちゃおうかな」
「うん、何でも言って!」
「そうね、じゃあ、水撒きをお願いできる? もう動物たちの世話は終わって、後は畑仕事だけだから。わたしは収穫をやるね」
そう言ってミルクがジョウロを渡すと、クリフは力強く頷いた。
「うん、頑張るよ。任せて」
* * *
二人がかりの畑仕事は、普段よりずっと早く片付いた。
「手伝ってくれてありがとう、クリフ君」
「良いんだ。ミルクさんのドレス姿を、早く見たかっただけだから」
笑顔でそう答えるクリフに、ミルクは少し頬を赤らめる。
「そんなに期待されても困るんだけど…。じゃあ、着替えてくるね」
「うん、待ってるよ」
クリフを玄関の前に残して家の中に入ると、ミルクは手早く体の汚れを落とし、ドレスに着替えた。
一年ぶりに袖を通す、女神祭のドレス。
淡い桃色と、ふわりと揺れる柔らかな絹の質感は、普段着と全く違い、心が引き締まる。
「お待たせ、クリフ君」
玄関のドアを開け、外で待っていたクリフに声をかけると、クリフはミルクのドレス姿を見、わぁ…と息を呑んだ。
声も出さずにじっと見つめられ、ミルクの顔が赤くなる。
「…その、どうかな? 変じゃない?」
恥ずかしそうに尋ねるミルクに、クリフは慌てて首を振った。
「ううん、まさか! すごく…すごく、綺麗だよ」
「ありがとう」
ほっとしたように微笑むミルクに、今度はクリフの顔が赤くなる。
そしてクリフは、ミルクの手に、小さな花束が二つ握られていることに気付いた。
「…あれ、その花束は?」
「ああ、ちょっとね。そうだ、クリフ君、実は、広場へ行く前に寄りたい所があるの。良いかな?」
「え? うん、まだ時間も早いし、良いけど…。どこ?」
「教会に行きたいの」
ミルクの答えに少し意外そうな顔をしたクリフだが、頷くと、左の肘をそっと差し出した。
「エスコートだからね」
そう言って、少し照れ臭そうに微笑むクリフに、ミルクは少し頬を赤らめながら右手を絡めた。
* * *
「このドレスはね、ゴッツさんから頂いたの。亡くなった奥さんの物だったんですって」
教会へと向かいながら、ミルクはクリフに説明する。
両親をとうに亡くし、去年この島に流れ着いたばかりのミルクには、女神祭のドレスなど、あるはずがなかった。
そんなミルクに、去年の祭の前日、ゴッツがこのドレスをくれたのだ。
「もう、俺には用のないもんだ。だから、アンタが着てくれ」
持ち主の奥さんも、将来受け継ぐはずだった娘も、もういないから、と。
ぶっきらぼうな口調だったが、二人が亡くなってから随分経つのに、ずっと捨てずに持っていたドレスだ。
二人の形見として、大切にしていたのだろう。
それを手放して、本当に良いのだろうか。
受け取ろうか迷ったミルクに、ゴッツは更に続けた。
「…あの世のカミサンが、言った気がしたんだ。このまま俺の家でほこりをかぶったままにするより、着てくれる人にあげて、役立ててくれってな。
娘も、生きてりゃあんたくらいの年頃だ。だから、貰ってくれないか」
ゴッツの言葉を受け、ミルクはそっとドレスを受け取った。
「…ありがとうございます。大切にしますね」
ミルクの話が終わる頃、教会が見えて来た。
「そうだったんだ。そう言えば、去年の女神祭でミルクさんをエスコートしたのは、ゴッツさんだったね」
「ええ。エスコートしてくれる人がいないって言ったら、エスコートを引き受けてくれたの。今年は、クリフ君がこうしてエスコートしてくれてるけど」
そう言って、ミルクはドレスの裾を揺らした。
「でも、それで、どうして教会に行くの? ゴッツさんの家に行くなら解るけど」
不思議そうに尋ねるクリフに、だって、とミルクは当然のように答える。
「ゴッツさんには広場で会えるけど、ゴッツさんの奥さんと娘さんには、教会の墓地へ行かなきゃ会えないでしょう?」
「ああ、それで…」
花束と教会行きの理由を知り、クリフはなるほど、と頷いた。
教会への門をくぐり、二人は墓地へと向かう。
「きっと、二人も喜ぶね」
「そうだと良いんだけど…。ほら、このお墓よ。こっちが奥さんで、隣が娘さんの」
そう言ってミルクが示した二つのお墓の前には、トイフラワーが一輪ずつ置かれていた。まだ瑞々しいところを見ると、供えられたばかりらしい。
「…きっと、ゴッツさんだね」
「ええ」
ミルクは二つのお墓の前にしゃがみ、花束を置いて手を合わせた。クリフもそれに倣う。
深々とお辞儀をしてから立ち上がると、さあ、とミルクはクリフを振り返った。
「それじゃ、広場へ行きましょうか」
そう言って、ミルクは再びクリフの腕に手をかけた。
* * *
「ダンス、頑張ってね」
広場へと向かいながらクリフが言うと、ミルクはこくりと頷いた。
「うん。カレンちゃんの特訓の成果を見せないと。…このドレスには、代々のゴッツさん一家の想いが受け継がれているんだもの。
失敗はできないわ」
その真剣な表情に、クリフは思わず見とれ、歩みを止めた。
「? …どうしたの?」
首をかしげるミルクの言葉にに、クリフはハッと我に返り、慌てて前を向いた。
「いや、その、ミルクさんをエスコートできて、良かったなぁって思って」
「え?」
「だって、きっと、今日一番美しい女神様だもの。きっと、本物の女神様にも負けないくらい」
クリフのストレートな言葉に、ミルクの頬が真っ赤に染まる。
「もう、クリフ君たら…。女神様が聞いたら、怒るわよ」
「だって、本当だもの。きっと、ゴッツさんの奥さんや娘さんも、ドレスを受け継いだのが君で良かったと思ってるよ」
「…本当にそう思う?」
不安気に尋ねるミルクに、クリフは大きく頷いた。
「うん、勿論! だって、こんなに綺麗で優しくて、これ以上女神の衣装が相応しい人なんて、いないよ」
「もう、だから褒めすぎよ、クリフ君」
呆れたようにミルクが言うと、クリフはふふっと笑い、ミルクに聞こえないよう小さく続けた。
「でも、今は、ボクだけの女神様だ」
――広場に着くまでの、この時だけは。
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HMの春のイベント、女神祭。
…書き始めた時は、春だったんです。それがどういう訳か、季節ハズレも良い所の、夏の7月に完成。
嗚呼、なんと言うていたらく!
…ええと、とりあえず、ドレスにまつわる話を書きたかったんですね。
ゴッツさんも出せたら良かったのですが、気付けば2人のいちゃいちゃだけで終わってしまいました。
というか、女神祭本番も抜きで、女神祭の朝〜エスコートだけで終わってます。すみません。
クリフは、こっぱずかしいセリフをさらりと言うので、たまに書いてて恥ずかしくなりますね。
でも、そんなクリフが好きですw
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